2015年6月12日金曜日

明るくなったら、朝がくるね。

息子はここ数日で、「朝」という言葉とおぼろげな概念を知った。
もうすぐ13才。

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私は、これまで積極的に息子に物事を教えてきた。
彼のように社会性の幼い子供達は、
勝手に物事を学んでくるということが少ない。

今息子がやっていることや知っていることは、
ほとんど私の力で教えた物だといっても言い過ぎではない。

でも、物事を教えるには時期がある。
「身体の発達」に関して言うと、
例えば片足立ちが多少できる位の身体の軸ができた頃に、
立ったまま靴を脱ぎ履きすることを教える
とか
二指がしっかりと使えるようになったらボタンを教えはじめる
とか、
一点を見つめることや追視が可能になった時期に
点から点へ線を引くことを教えはじめる
とかそういう意味である。

「精神的な発達」
もしかり。

「知的な発達」
もしかり。

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そして今日ここでテーマにしたいのは、
周りを見て、そして「気付く力」「知りたい気持ち」。
これが出てきているときは、
周りにいる人たちは、是非しっかりと気付いて仕掛けを作ってあげて欲しい。
それが、物事を覚える絶好のチャンスでもあるから。

本人が気になりかけている事象について、
そのタイミングで教えることに意味があると思う。

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息子は最近、空の様子を気にするようになった。
それは最初は、習い事の帰り道のふとした気付きからだった。
長年通っている習い事。
ここ数年帰路につく時間はきまって18:15。
4月の途中までは暗かったので、すぐに車のライトを付けたけど、
4月後半からは、
あれ?「暗い、ない!?」
”明るいね、まだライト要らないね。”と私は返した。
 
そして、家に帰って外を見ると、
あれ?「暗い」

次の日起きてみて
あれ?「明るい」
 
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夕焼けの時は夕方なんだなぁって思い、
一日のお日様の移り変わりにほんの少し気付き、
明るくなったらお母さんが雨戸を開けることに気付いた。

楽しみにしている通学バスは、
「明るくなったら」乗れるんだね、
と気付いた。

「暗くなったら」
もうお外で遊べないんだと気付いた。

さっさと夜ご飯を食べた日、
「外が暗くなってきた」から、
もうそろそろお風呂に入ってみようかと思ったりした。

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そして、
「明るくなったら~」
そう何度も言うようになった。

”明るくなったら?何するの?”と問うと、
「バスに乗る。」と答える。

”そうだね。明るくなったら「朝」。バスに乗れるね。”

そんなやりとりを繰り返すようになった。

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そして。
「明るくなったら、朝!バスに乗るよ!」
「おやすみなさい。」

そうやって明日を楽しみに、二階の寝室に向かうようになった息子。
 
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もっともっと小さい頃に、
お日様の描いてある絵カードで「朝」という言葉は教えられたかもしれない。
でも、そういうことじゃなかったと思う。

健常の子供が、とても幼い時期に、
一日の流れをなんとなく知って、
お日様が昇って明るくなったら、朝なんだ、
って概念をいつの間にか知るように。

発達に凸凹があったり、知的な遅れがある子供も、
同じような気付きのある時に、
概念を知ることができるような「しかけ」

これは、非常に大切じゃないかなあと思う。

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理解が難しそうでもとりあえず形ばかり教えなければいけないこと、
本人の気付きを待ってそのタイミングで教えた方がいいこと、
どちらの場合もある。

だからもし、「朝」が緊急に必要になったら、
絵カードででも教えないといけないかもしれない。
でもそれは、本当に概念を理解したのとは違う。

概念を理解するときは、
彼らがそれを知る土台(準備)ができて、
そして彼らがそれを心から知りたいと思ったときだと思う。

ゆっくりでもいい。
そうやって一つ一つ積み上げていこう。

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息子はまだまだ進化を続ける、私と共に。

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タカマミー

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