2015年5月26日火曜日

教訓力(仮名)

息子のエピソードを2つ紹介したいと思う。
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1つ目は「バス行っちゃった」
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息子は支援学校に行き始めて約2ヶ月経ち、
毎日のバス通学をとても楽しみにするようになった。
毎日決まって7:40になると、通学バスに乗りこんで学校に向かう。
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これは、身体の調子が安定していたから続けて来られたことでもある。
身体の調子を一定に整えてやるのも、結構大変である。
日照時間に左右され、
気圧の変化に左右され、
体温の変化に左右され、
体温調節がうまくできなくて困り、
さらに元々睡眠障害を持っている彼にとって
一年中安定して起きて眠れるということは結構難しい。
昼間のちょうどいい覚醒状態を保つのも難しい時がある。
先日、久しぶりに途中覚醒を起こした。
夜中の3:00にぱっちり目が覚めてしまい、
とても眠るような状況ではない、と訴えてくる。
横になっている訳にもいかないほどの覚醒ぶりなので、
起きてパソコンで遊び始めた。

放っておく訳にもいかず、
私もリビングでウトウトしながら彼の側にいる。
そのまま起き続けていると、
昼間、身体はしんどいはず。
でも眠れないものは眠れないので、どうしようもない。

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そうこう言っているうちに、明け方になって二度寝をし始めた。
このパターンは起きられない。
仕方なく学校に、「バスに乗らず直接行きます」と連絡を入れた。
 
目覚めたとき、
バスが行ってしまったことを知った彼の
嘆き悲しみぶりといったら。
この状態で学校に連れて行くのも、なかなか大変なものではあるが、
仕方がない。

彼が怠慢で寝坊したわけでもないので、
可哀想に思うが、どうしようもない。
 
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翌朝、「起きようか」と声をかけた私に、
息子は「起きられない・・・」

いつものパターンである。

「でもな、バスは7:40って決まってる。
起きないと、バスが行っちゃうよ。いいか?」

「・・・うん。」

イヤイヤイヤ!!!
それはマズイんじゃないか!!
昨日のパターンや!!
時間はよくわからんけど、とにかくバスは昨日行ってしまったしな!!
がばっと起きた。
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2つ目は「予定を入れなくては暇だ!」

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先週の土曜日、
息子と2人午前中の予定を2つ終え、
家に帰宅した。
午後に用事も入っていなかったのと、
私が極度に疲れて目が閉じそうだったので、
息子がPCをしているのを横目に、ソファで眠り始めた。

ふと気付くと息子はいなかった。
びっくりした。
つまらなくなった彼は、
家の敷地内の雨水溜めに石を落として遊んでいた。
「あ、そこにいたの。良かった。」

やっと起きてきた私の姿に安心した彼は、
そのまま家の外へ飛び出した。

全く身体が動かないが、
彼が外に出たがったら、止めるのは無理だ。
1時間私が眠っているのを見て、我慢していたんだろう。

そう思って、一緒に外に佇んでいた。

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翌日日曜日、
彼のカレンダーには予定が書いてあった。
楽しみにしているヘルパーさんとの外出である。
「○○さんと、△△に行く!」
「判った、じゃあ○○さんにそう言おうね。」

しかし彼は考えた。
よく時間はわからないけど、
ヘルパーさんとの外出は、
お昼ご飯を食べた後だ。

よく時間はわからないけど、
朝ご飯から、お昼ご飯までの間、
また予定がない、暇だ!!
昨日退屈だったしな。
お母さん、また眠っちゃうかもしれないしな。

「耳鼻科いこ」
午前中のちょっとしたお出かけとして、
きっと断られないであろうアイテムを提案してきた。

「いやいや、日曜日は耳鼻科お休みやで~
散髪屋さんに行くのはどう?」

「散髪屋さん、行く!」
 
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2つのエピソードは元はと言えば彼の失敗ではない。
不可抗力だ。
でも、彼にとっては「あまりよろしくない」状況が起こった。
そして、怒ったり、勝手に行動したりしてみたわけだ。

半年前なら、それで終わりだったと思う。

でも現在、彼のエピソードには続きができた。
「昨日すごく嫌だったから、今度はこうしたらいいんじゃないか!」
と考えることができた。

教訓力(?)とでも言うのだろうか。
 
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よく、人は失敗から学ぶということを聞く。
子供の世界でも、いろんな経験をする中で、
上手にできなかったり、失敗したりする中から学ぶんだ、
そういう話を聞いたりする。
 
でも、それはその子の状況による。
失敗を教訓にできないくらいの”教訓力の幼さ”では、
失敗を活かすことができない。

むしろ、失敗体験として終わり、
「きっとうまくいかない」
「どうせやったって上手にできない」
「きっと楽しくない」
そんな刷り込みが行われてしまうと思う。

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そんな”教訓力の幼さ”が目立つ時期には、
できるだけ失敗の数を減らしてあげて欲しい。
上手にできたね、楽しかったね、
で物事を印象づけていかないと、
世界が広がっていかないし、
所謂「自己肯定感」を育てることができないと思う。

繰り返し言うが、その子の状況を見て、
体験させることや、時に失敗してしまうこと、
その環境や数を調整してあげることが大切だと思う。

なんでもかんでも、いいと思ったやらせたらいい、
楽しそうなことには飛び込ませたらいい、
には少し疑問である。
 
大切に育てた”教訓力”が育ってきたら、
また次のステージへ進もう。
それがいいんじゃないかと感じるから。

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勝手に”教訓力”という言葉を造りました。
何か心理の専門用語があるのかもしれません。
もしご存知であれば教えてください。

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タカマミー
 
 

2015年5月8日金曜日

お仕事につながる道

息子は、支援学校の中学部1年生である。
中学からこの学校に来て、約1ヶ月。

支援学校では、基本的に中学部から高等部にかけて、
職場(主に作業所)を想定して、
ワークというものをする。
(地域によって呼び方は異なるかもしれない)

作業所を想定した「○○加工」とか「農作業」とか
そういうものに、それぞれ配属になる。
(おそらく)一年間かけて、
どれくらいの作業が担当できるのか、
報告・連絡・相談ができるか、
いろんなことを教えて貰いながら体験をする
まさに職場体験授業である。

よって、中学部の一年生は現在、体験期間のまっさかりである。

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ちなみに、私の息子は知的障害の判定は、
3~5才まで中度、
6才で重度になってから、
そのまま重度のままである。

自閉の程度も重いと思う。

昔を思い出しても、現在の状態を書いてみても、
文字にすれば全く同じ。

社会性もかなり重い。
多動・衝動性も強い。
あまり書きたくはないが、他害もある。
(すっかり無くなったと思ったが、中学で若干再発中)
癇癪もちである。
気が散りやすく、集中できない。
力が弱い。
走るのは速いが、持続しない。
何もしないで待つことが全くできない。

書けば、全く良いことがないですよね。


小さいときからこんな風だったので、本当に良いことがなかった。
褒めてあげたくても、褒める行動が一つもなかった。

だから、ひどく困っていたんです。

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そして先にも書いたとおり、
上記に書いた「困った」ことはそのまま継続中です。
特性なんて、そうそう変わりません。

だけど、ひどく困っていたから、
なんとかしたいと思った。
自分でなんとかしてやると思った。

そして、いろんな専門家の助言をいただきながら、
母と息子の濃密な日々は、3才~10才まで続いただろうか。

ちなみに、11才から12才はというと、
なんとなく落ち着いてきた息子を見て、
私が少しずつ距離感を作り始めた時期でもある。
物理的に私以外の人と過ごす時間を増やしてみたのである。
その間も今も、いろんなことを一緒にやっているが、
ちょっと質が違うと言ったらいいのかな。
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そして、支援学校での話に戻る。

人との関係は、今はまだ様子見しているところでもあり、
ものすごく大きな問題もないと思うが、
多少難ありだと思う。
こちらは頭が痛い問題。
授業の様子は、
多くはわからないが、
それなりにやっている様子である。
実際のところ、よくわからない。
深くも聞いていない。
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給食当番はというと、
先日、参観日の日に見せていただいた。
近くにおられた先生から、
「彼はね、スープ係を任せられているんですよっ」
ものすごく自慢気に言われた。

「はい・・・!?」
どうして自慢気なのか、はてなマークである。

「スープ係はね、難しいから先生が担当している学年もあるんですよっ」

「はあ、そうなんですか」

小学校では、かなり”できない”生徒だったために、
先生からそんな扱いをされても、しばらく意味がわからなかった。
とにかく、汁物は配るのに神経も使うし、作業的にも難しいということらしかった。

家では味噌汁、普通に自分で入れてるけどな。
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そして、ワーク。
3種類のワークを、計2日ずつ体験したようである。

1つ目のワーク、2つ目のワーク、
非常に意欲的に最後までよく取り組んだそうである。
全く問題がなかった。
むしろ、とても楽しそうだったようである。

3つ目のワーク、
それが今週だった。
焼き物を作るワークだったので、
粘土状の物をどうにかしたんだろう。
(詳しくはわからないが、とにかく体操服がドロドロだった)

木曜日(初日)の先生からの連絡帳には

「今日のワーク体験、陶工では、自分の手につく粘土が気になり、
手が止まってしまう姿が見られました。
慣れてくると、指示通り活動できるようになってきました。」

金曜日(2日目)の先生からの連絡帳には

「昨日に比べ、今日のワークではとても順応し
頑張って活動することができました。
順応性の高さに驚きました!!
彼の力なら、どのワークに行っても
作業的には問題ないと思います。
あとは、継続する力、速さ、精確性をあげることが
大事になってくると思います。
本当によくできていました!」

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私はこれを読んで、じわーっときたり、
ちょっと嬉しくなったり、
約10年間何やってきたんだっけ?と思い出してみたり、
でも、最後には心配になった。

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先生が何故驚いたりスゴイと思ったか。
それは、彼の普段の行動や、知的レベルや、
会話の成り立ち方、
全体指示の通りにくさ、
いろんなことを総合してみて、

それにしては「ワーク」が非常によくできたんだと思う。

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そう。
元々能力があったわけでも、
作業が好きなわけでも、
緻密な作業が得意なわけでも、
持続力があるわけでも、
いろんなことを楽しめるわけでも、
すぐに慣れるわけでも
全くないのだから。

だから、余計に心配になった。

先生方、過剰に期待しないでね。
元々できる訳でも、
順応性が高いわけでもなく、
ただ、経験値が高いだけなんです。

そして、やりたくなかったり、
わからなかったり、
いろんな辛いことも乗り越えて、
やっと今楽しく作業ができるようになってきたところなんです。

辛いことはみんな、お母さんとやってきたから、
周りの人にはそれが見えないのかもしれません。

だから、どんどん高いレベルを求めすぎないで欲しい。
長い目でみて、ゆっくりレベルアップさせてやって欲しい。

ちゃんとできるってことは楽しい。
全部できるってことはスッキリする。
「できた」って報告するとほっこりする。
もっと何かやりたいなって思う。

今の気持ちを、そのままお仕事へつなげてやりたいのです。

だって、仕事をするって、役割があるって楽しいもの。
お母さんも、そう思うもの。
そんな風に先生に伝えたいと思っています。
でも、唐突に言っても、ちゃんと伝わるかどうか、
ちょっと不安です。
今までの彼を知らない世界に、1ヶ月前に飛び込んだばかりだから。
でも、頑張って先生に伝えるからね。
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タカマミー