2015年9月22日火曜日

Xくんのお母さんの想い と 私の決意

療育コンサルティングの第一号クライアントさんである、
Xくんのお母様が今の心境を書いてくださいました。
飾らず、今の想いを書いてくださっていると思います。
原文まま、載せてみたいと思います。
 
・・・・・

私が今感じること。
息子の発達障害が確定して2ヶ月。
ショックと不安で毎日泣く日々。
それが、一日おきになり、3日に1度になり今は1週間に一度位涙が出るかな。
でもそれは悲しい涙の時もあるけれど嬉しい涙の時も出てきました。

私が今感じることは、タカマミー先生と出逢うまで、
我が子との関わり方がわからなかった。
その一言に尽きるのではないだろうか。

普通が全く通らない。
でも普通だと思って接しているから上手く行かない。
お喋りできないのは、今は言葉をため込んでる時期。
おもちゃで遊べないのも、興味の幅が狭いことも、そのうち出来るようになる。
ウロウロするのも、突っ走ることもいつか治まると思っていた。と言うか思うようにしていた。
でも、それを出来ないのが発達障害。
私自身の発想を切り替え、もっと発達障害について知らなければならない必要がある。

タカマミー先生に毎週来て頂いて、息子の遊び方を見て頂いてアドバイスを受ける。
1週間言われたアドバイスを守り毎日小さな遊びの課題をコツコツやる。
初めは課題の些細さに気が遠くなった。
でも、続けるとどんな課題も必ず反応するようになるし、出来るようになることも出てきた。

息子と一緒に遊び、息子が笑顔になる。
当たり前のことかもしれないけど、私にとっては今まで、それすら出来なかった。
だから、嬉しくて泣けてくる。
息子と人として通じ合える感覚・・・

色々な療育法があるけれど、人間力を強化していく療育法はあまりないのではないだろうか?
タカマミー先生の療育法はそこが他とは大きく違う点だと思う。

触ろうともしなかったクレヨンを持ち、点を描き、弱い筆圧でヒョロヒョロと線を描き、今はしっかりした筆圧でシャッシャッと画用紙の白色がわからなくなるくらい線を引けるようになってきた。
いつかは、一枚の絵を完成出来るようになればいいなと思う。
毎日毎日順調にと言う訳ではないけれど、やれば必ず前進する。やらなければ何も始まらない。

実は実際、まだ息子の障害を完全に受け入れられた訳ではない。
夜、眠れない日もある。
彼の現状を知ることは怖い。

でも、目を逸らしたりはしない。
彼と一緒に幸せになりたいから。

(Xくんのお母様の文章、原文そのまま)


・・・・・
 
Xくんのお母様は、
まだちゃんとXくんの障害を受け入れるには至っていない、
そんな雰囲気が見て取れます。
感情にも波があるのだとも感じます。
最初お会いしたとき、
Xくんはこれならできる、
これは分かっている、
穏やかな性格だ、
聞き分けが良い、
と思いたい、そんな気持ちがひしひしと伝わってきました。
我が子の障害を受け入れるのに、時間はかかります。
でも、正しく我が子の状態を知り、
できていること、できていないこと、
わかっていること、わかっていないこと、
を受け入れるところから、
療育はスタートします。
それがとても辛い行程だからこそ、
他人に任せるというのが一般的だったのかもしれません。

しかし、Xくんのお母様は自分で頑張ってみたいと、言われました。
強いお母さんのように思えるでしょうが、決してそうではありません。
実際、私も強くなんてありませんでしたから。
ただ、Xくんと幸せになりたいという気持ちが強いのです。
また、それが許される家庭環境だったのです。
ただ、その条件が重なって、たまたま私との出会いがあっただけなのです。
 
だから、私もそんなお母様の心情に寄り添いながら、
でも淡々とやるべきことをしっかりと、伝え、評価し、軌道修正してまた伝える。
 
私はお父様お母様に
「大丈夫ですよ。」「そのうちなんとかなりますよ。」とは言いません。
将来を聞かれても
「それは誰にもわかりません。」としか言えません。
ただ、親御さんが着実に行動することで、
「なんとかなる」に近づくことはできる、と伝えます。
そして、「一緒に長い道のりを頑張りましょう」、と言います。

冷たいようですが、気休めの言葉なんてかけられないのです。
それぐらい、発達障害(自閉症)とは生きていくのに大変さを伴う障害だからです。
また、家族にも大変なストレスとプレッシャーを与える障害でもあるのです。
放っておいて治るなら、なんとかなるなら、療育なんて要らないのです。
 
・・・・・
 
私も、未だに息子と居るとき、気が休まりません。
だからって、お留守番させておく知的能力もないし、
一人で外に出せるほどの判断力もないので、
誰にも見てもらえないときは、必然的に私が常に付き添います。
私は13年間、彼の側にずっといて、この先もずっと側にいる。
これからもずっとです。想像してみて下さい。

そして、祖父母に任せられるというレベルではなくなってきました。
私の指示と、それ以外の人の指示では、入り方も違うからです。
走れば、私でも追いつけません。
いろいろな意味で、高齢になってきた祖父母には預けられません。
しっかりとお任せできる学校や一部の福祉関係の方にしか、お任せできません。
それでも、外で何かしでかすかもしれない、
そんな不安に押しつぶされそうになりながら、
他人にお任せするのです。
 
そんな彼でも、就労に向けて、自立の練習をさせなければなりません。
そして、彼のこだわりや見通しのもちにくさと、いつもいつも戦っています。
 
・・・・・
 
もちろん、知的な能力の差や、発達障害の種類や、その子どものもつ気質により、
家族の負担はまちまちです。
でも、多かれ少なかれ、ストレスとプレッシャーと不安で押しつぶされそうになる、
そんな障害だと感じます。
 

それでも、「適切に関わられてきた幼児期・学童期を過ごした子ども」
「そうでない子ども」とでは、大きな差が出ると感じます。
 

・・・・・


小学校の普通学級に在籍する発達障害児。
我が子に比べれば、知的な問題はないし、一人で出掛けさせられる。
一見、親御さんの負担は軽いように見えますが、
実は「普通」の枠に入れられてしまう、また「普通」に入らざるを得ない、
彼らの大変さも、また我が子とは違う大変さです。
年齢が大きくなればなるほど、大変さが伴います。
障害者の枠にも入らない、でも普通の枠にも入り辛い。
そんなジレンマ。
 
彼らも生き辛いでしょう。
親御さんも、そんな彼らを見ているのが辛いでしょう。
普通に高校に行って、いずれ就職して・・・
それが本当に可能なのかしら、と不安で不安で押しつぶされそうだと思います。
 
・・・・・

そして、彼らになんとか救いの手を差し伸べられないか、
そうやって始めた小学校での特別支援教育としての個別授業。

考え方は間違っていなかった、と確信しました。
やるべきことのベースは結局は同じ。
ただ、活動の種類やレベルが違うだけなのだ。
そして、理解度や本人の好みに合わせて、
カスタマイズしてあげれば、
考え方は、一緒。

そんな確信のもと、
発達障害児に救いの手が差し伸べられるよう、
頑張っていこうと、また強く感じた。
 
・・・・・
 
タカマミー




2015年9月20日日曜日

紹介する

映画の予告編
番組の告知
イベントの告知
モバイル会員向け新商品案内
スーパーのチラシ

私達は、いろいろな情報を、様々な媒体で見聞きし、
「こんなものがあるのか、一度観てみたいな。」
「是非、この日朝一番で買いに行こう!」
など、どんどん脳内の情報を更新している。
 
・・・・・

また、友達が話題の本を読んだと聞けば、自分も読みたいと思い、
人が作ったレシピを見て、同じように作りたいと思い、
口コミの多いお店に是非行ってみたいと思う。

そうやって、人がやっていることや好きなことが気になり、
自分もやってみたいと思ったり、
興味を持ったり、
そうやって世界を拡げていっている。

・・・・・

最近、ある男児(Xくん)の親御さんとご縁があり、
親御さんへの療育コンサルティングを始めることとなった。
私のクライアントさん第一号だ。
毎週そのお宅を訪問し、
ご自宅の中でXくんがどんな行動をしているのか、
どんな玩具で遊んでいるのか、
どんな風に物事を要求しているのか、
どんな風にお外を歩いているのか、
どんな風に食事をしているのか、
いろいろ観察しながら、
アプローチ法を探りつつ、
お母様に、遊び方や物事の伝え方のアドバイスをしている。
 
まずは、Xくんと遊んでみないことには、
彼の行動や発達状況が把握できないと思い、
いろいろと遊んでみる中、

「お母さん、クレヨンと画用紙ないですか?」
と私が言った。
「あ、Xは興味がないので、ここにはないです。どこにあったかな?」
とお母さんが言った。

私も自分で持ってきていたので、それを出してみると
確かに何の興味も示さない。
見ないし、クレヨンを触ろうともしない。

・・・・・

2週間後、Xくんの前に画用紙とクレヨンを置いてみた。
Xくんは、画用紙とクレヨンを見ている。
私はクレヨンをXくんに渡した。
Xくんは、クレヨンを画用紙に「トントントン」と押しつけ、点ができた。
その後、右方向に手を動かし、薄い横線ができた。
他の色を渡したら、また点ができた。

そして、私が横線を描いてみせると、ちらっと見た。

・・・・・

まだ、何かが描けるわけではない。
私の描くモノをじっと見ていられるわけではない。
私の描くモノを真似しようという気持ちも、まだない。

でも、これは0から1に変わった2週間だったと思う。

・・・・・

我々は、見慣れているモノに安心する。
また見慣れているモノを好きだと思う傾向がある。

初めて見るモノや触るモノは、ちょっとドキドキするし、
触ったこともないのに、好きかどうかなんてわからない。

・・・・・

2週間前、Xくんのお母さんには
「毎日Xくんを膝にのせて、画用紙とクレヨンを使っている姿を見せてください。」
ただ、そうアドバイスした。

最初は、きっと全く見なかっただろう。
それでもいいから、毎日数十秒続けてくださいと私は言った。
(本当はもう少し詳しいテクニックがあって、それもお伝えした)
でも、それが何回も続くうち、
「あれ、昨日もこのセット、見たな」
「そういえば、お母さんよく手を動かしているな」
きっと、Xくんは心の中でそう思ったに違いない。

そして、ちょっとでも見るようになったとき、
Xくんと一緒にクレヨンを持って、点々をつけたり、
横線を描いてみたり、してもらうようにもアドバイスした。

ただ、単にそれだけだ。

・・・・・

発達障害の人は、人を参照するのが苦手だ。
そして、見慣れないモノに興味を抱くことが少ない。

そして、Xくんはまだ幼く、経験も少ない年齢。

普通なら、いろいろな殴り描きやぐるぐる描きができている年齢なのだが、
そもそも画用紙とクレヨンを知らなかったし、
画用紙とクレヨンを使っている人を見ても、
目に入っていなかったと言っていいだろう。

あえて、「紹介」してあげないと、
興味が広がっていき辛いタイプのお子さんなのだ。

でも、「紹介」して、0から1になったことは、とても大きいと私は思う。
これから先、お絵かきをしたり、文字を勉強したり、ということは、
きっと避けては通れない。
 
・・・・・

どんなことにも、最初の一歩はある。
発達障害や知的障害により、その一歩が出遅れたり、
また、その一歩にもならなかったり、
一歩でたと思ったら、足踏みしたままということだってある。

けれど、「紹介」してあげることで一歩、二歩と、
ゆっくりでも着実に歩んでくれる事柄がある。
それは彼らが自ら学んで前進しているということなのだ。
 
・・・・・

そんなお子さんの歩みを、
親御さん自身の手で促してもらうという大きな仕事。
その親御さんの仕事をコーディネートするのが私の役割。
どちらも、まだ歩み出したばかり。

みんな、最初の歩みを始めたばかりの、
三人四脚はこの秋スタートした。

映画の予告編みたいに、「これいいな!」を見つけ、
それが発達を促し、彼の土台作りとなるよう、
これからも「紹介」活動は続きます。
 
Xくんの今後に乞うご期待、です。
 
・・・・・

タカマミー


2015年9月17日木曜日

通知票

今日は、息子の学校の個人懇談。
通っている支援学校は2学期制なので、
入学してから今月まで、前期の評価を説明していただいた。
 
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通常学級では、学年毎、教科毎に一定の基準があり、
それに到達しているかどうかで評価が決まる。

しかし、支援学級や支援学校では、全員発達がまちまちなので、
一人一人に「個別支援計画」や「包括支援プラン」が作られる。
それに基づき、一人一人の半期の目標が作られる。
 
・・・・・
 
それぞれの項目がどうだったか、
ということはまあいいとして、

私が嬉しかった息子の行動は、

「好きなお友達が複数できたこと」
 
「好きなお友達を押して楽しむのではなく、声をかける,笑顔で近づく,頭をなでる等のことで満足できるようになったこと」
 
「苦手な大声が聞こえても、好きな子の声ならニコニコして聞いていられること」
 
「苦手な大声が聞こえたら、その子を攻撃しにいくのではなく、先生に”キーキー嫌だな”と言いに行けることで納得できるようになってきたこと」

「先生に、報告や連絡ができること」
 
「与えられたことを、最後まで取り組むことができること」
 
と、こんなことでした。
 
・・・・・

入学したての頃、まだまだ落ち着かず、
誰を頼って良いかもわからず、
いろんな問題行動を起こしては頭を抱えていたな。
何度も先生と話し合ったな。
 
半年経ち、担任の先生とのしっかりした信頼関係ができ、
問題行動を、少なくともちょっとでも正しい方向へと修正できていること、
なにより、学校が大好きで、毎日楽しみにして登校できること。

小さい頃から、「こうなってくれればいいな」と思い、
何年もかけて一緒に積み上げ練習してきたことが、
中学生になって、ちょっとずつ花開いてきているように感じた。
とってもとっても嬉しかった。
 
・・・・・

そして、後期は、縦割り授業のクラスにおいては、
今より少しレベルの高いことを求めてみようと、2つのクラス替えもするそうだ。
そして、担任の先生だけでなく、他の先生とも関係を築いたり、
先輩のやっていることを見て付いていったり、
お友達と協力して物事をやり遂げることを学んで欲しい。
彼に必要なのは、そういう対人スキル。
国語力は、今の彼のレベルに見合うものを既につけているので、
その時間を削って、人と関わることの時間を増やした。
そういう狙いをお伺いできた。

そして、家と学校のクラスでは、手持ちぶさたな時にやれそうなことを
積極的に見つけていき、情報交換していきましょうということも話し合った。
 
・・・・・

通知票の評価は全部「達成」。
普通の中学生なら、オール5か!?
MBOなら、評価+か!?
そんなに厳しい評価結果ではないのだが、
つまり「次のステップに移っても良し」ということだ。

いっぱい大変なこともあるし、難しい問題もある。
これからも、いろいろ乗り越えなければならないだろう。
でも、息子は学校で楽しく過ごし、
そしていろんな役割を持ち、
それぞれにとても頑張っていて、
その頑張りを先生方から認めて貰っていることが、
お母さん誇らしかったよ。

素敵なご褒美をありがとう。
 
・・・・・

そしてお母さんは、Sちゃんだけでなく、
他の困っている子ども達にも、
あなたのようにしっかり着実に前進し、
周りから認められる子どもになっていってもらえるように、
地道に活動をしていくよ。

これからも、毎日を大切に生きていこう。
 
・・・・・

タカマミー

2015年9月14日月曜日

信頼

人として信頼してもらうこと。
そんな方法論はあるんだろうか。

深く知らなくても、
「この人は信用してもいいな。」
「この人には、まだ気を許せないな。」
そういう感情を抱くことは誰にでもある。
 
・・・・・

言うことに一貫性があるとか、
ウソをつかないとか、
口が固いとか。
 
忘れ物や遅刻がないとか、
お金にしっかりしているとか、
お礼や謝罪をタイミング良くできるとか。

人の話をしっかりと傾聴してくれるとか、
対話が成り立つとか、
共感してくれるとか。

そういうことが大きいのだろうか。
 
・・・・・

そして周りから見て私という人は、
痛みを知っているという大きな要素もあるようだ。

痛みを知って、そしてそれに立ち向かっている、
という理由で、私に悩みを打ち明けてくれる人も居る。

・・・・・
 
私はSNSにネガティブなことは書かないと決めている。
どちらかというと、おちゃらけたことを書きたいと決めている。
そうやって、その場所で、人との対話を楽しみたいからだ。
 
だから、私はいつもいつも息子と楽しく過ごしているわけでもないし、
悩みがないわけでもないし、
はつらつとして健康な訳でもない。

どちらかというと燃費が悪いたちなので、
いろんなことを片付けるときは速いが、
一定時間の横になる時間や、
息抜きする時間が人より多く必要だ。

・・・・・

今日は何かといろんなことが重なった上に、
私の中での一番の大きな問題、義母問題が重なった。

彼女が絡む問題は、とても厄介で、
そして、とてもやる気を削がれる。
そして、むなしくなる。

息子のことでも同じような感情が起こることもあるが、
やはり可愛い我が子であり、
私を必要としてくれる我が子であり、
なんとかせねばと、戦う気力を取り戻せる。
 
・・・・・

でもそんな時、
夫と連絡をすれば、
「つまらぬ母で、ごめんな」と一言、
書いてくれる。
私はその一言で、よしまた立ち向かおう、頑張ろうと思える。

ちょっと相談していい?と義妹にメールを送れば、
すぐに電話をかけてきてくれる。
そして、しっかり話を聞き、
一緒に問題を解決する方法を考え、
そして、私に感謝してくれる。
ああ、こうやって3人で協力できてなんて幸せなんだろうと思う。
「聞いてくれてありがとう」
「一緒に頑張ろう」
そうやって言える同志がいるのは、心強い。
 
・・・・・
 
私はすごーくたくさんの人と知り合いになりたい訳ではない。
どちらかというと、ちょっと苦手である。

でも、信頼し合える人が一人、また一人増える度に
幸せな気持ちになる。

そういう「ありがとう」「幸せ」と思えることが、
相手にも伝わるのかもしれない。
それが信頼関係を強くしていくのかな。

・・・・・
 
5つぐらいのことを同時進行でこなし、
とっても疲れた今日だったが、
こうやって書きたい気持ちになった。
やっととれた食事も美味しい。
ついでに、ビールも旨い!

あー幸せ。

・・・・・

タカマミー



2015年9月10日木曜日

新しい私の役割

2年ほど前までは、
「その辺にはあまりいない、珍しいタイプの療育お母さん」
として、私のことを知る人は知ってくださっていた。
 
ここ半年くらい前から、
もうちょっと突っ込んだ話をして下さる方が増えた。
「いつかあなたと一緒に仕事がしたい」
「こういう事業のお手伝いをしていただけませんか」
「私はこういうことをしたいと思っている、いつかコラボしたいです」
そんなお話をいただくようになった。
・・・・・
 
それもこれも、お会いしてお話する方がたいてい
「高見さん、何をされている方なんですか?」
と聞いて下さるからである。
 
2年前までは、
「ただただ、息子のセラピストとして毎日を過ごしています。」

1年前には、
「息子のセラピストとして過ごしながら、
社会人向けの研修添削講師を在宅でしています。」
 
半年前には、
「在宅で社会人向けの仕事をしているんですが、
いつか発達障害児に関連する仕事をしたいと模索中です。」
 
そうやって、私の答えが変化してきたからなのだろう。
どちらにしても、相手の方は、「私が何者なのか」を知ろうとして下さる。
そういう何かが、私にはあるようだ。
 
・・・・・

息子のセラピストであることは、いまも変わりがない。
でも、息子との関わり方や関わる時間帯が明らかに変わってきたのは事実。
息子のことを考えないことはないが、
日常生活そのものが、2人にとって学びの場であり関わりの場と変化したのだろう。
息子の居ない時間帯に、あれこれ遊びを考えたり、準備したり、
学習課題の用意をしておいたり、
先にご飯を作っておいたり、
そんなことをしなくても、彼と二人で学んでいけるようになってきた。
 
・・・・・
 
そしてこの秋、
社会人向けの仕事にも新たな役割が舞い込みました。
 
小学校で、特別支援教育に携わるご縁をいただきました。
 
療育コンサルタントとして、私を求めて下さるご家庭に出会いました。
 
この先、どの割合を大きくしていくのか、
仕事としてふくらませていくのか、
まだ何も決めていません。
まだ収入というほどにもなっておらず、
私の方がまだまだ修行中という感じです。

しかし、私個人的には、
長く温めてきた療育コンサルタントの役割を大切にしたい。
なぜなら、私が育て支援したいのは、
「難しい子供を育てる親御さん」だから。
 
・・・・・

私を通じて、親御さんの考え方や軸がしっかりと定まり、
それがそのお子さんへと伝わっていき、
親御さんとお子さんで、
楽しいことも苦しいことも共有し、共感しながら
一歩一歩進んでいって欲しい。

そして、いつか
「もう自分たちの力でやっていけます、ありがとうございました。」
「そうですね、もう大丈夫ですね。」
と、そんなところまでお付き合いできたら、
どんなにいいだろうかと思う。
 
軸になるのは親御さんであってもらいたいと思うから。
専門家や有資格者を、親御さんが自分で選択し利用し、
教育の現場と対等に話ができれば、
自立した親御さんと言えると思う。
やがて、我が子の将来を考えていく時にも、
そのような親御さんであれば、きっと乗り越えていけると思う。
 
多くの人を救うことはできないかもしれないが、
そういう考え方のできる人を一人でも増やしたいと願う。
そして、お子さんが、ご家族が、
生きていて良かったと思えることを願う。
 
・・・・・

わからないことは聞いたらいい。尋ねたらいい。
でも、「自分が何がわからないか」を聞いても答えは返ってこない。
 
私は絶対的な100%の答えを持っているわけではない。
でも、問題を整理することや、
どんな風に判断していったらいいかを考えることができる。
試してみて、それに評価をすることができる。
 
お子さんに対し、私が何かする度に、
「なるほど~」「今までと違いますね」「私も今日からやってみます」
そう言ってくださること。
それを素直に実行してくださること。
そして、それをしたことで子供に少しの変化が見えること。
 
親御さんが我が子の状態をしっかりと受け入れ、
目をそらさないで取り組んでいくという姿勢は
実はすぐには整わない。
多少時間のかかることなのだ。
 
それでも、そうやって苦しんでもがいてでも、
毎日何かに取り組もうとすること。
それが、行動することである。
そしてそれが療育することであり、子育てでもあるのだ。
 
じっと黙っていても何も始まらないし、誰も始めてくれない。
何か行動してみることが大切。
 
・・・・・

そんな我が子以外の、発達障害児との関わりの中での気付きも、
今後は綴っていきたいと思っています。
もちろん我が子同様、匿名です。

どうぞよろしくお願い致します。

・・・・・

タカマミー

2015年9月6日日曜日

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息子は好きなものがあれば独り占めしようとする。

それは誰しも幼い頃、通過する成長過程でもあるのだが、
いつしか人に分けてあげる喜びを覚え、
人と一緒に分かち合う楽しみを噛み締めるようになる。
一人で食べるより、みんなでお喋りしながら食べると、楽しいね!
その成長過程をなかなか超えられない、
そして人と分かち合うことの意味がなかなか分かりづらい、
そんな難しさを持った息子にとって、
結構ハードルの高い問題でもある。

いろいろなテクニックを使って伝えようとしても
彼らには心底理解することが難しい。
超えようと思えば、人を好きになることしかない、
まずはお母さんを好きになることがスタートだ。

そんな教えを、私は長年実践してきた。

そして、お母さんである私のことを
息子は好きになってくれ、信頼してくれているとは思うが、
いざ大好きなものが前に出てきてしまうと、
「大好きなもの」が優先されて訳がわからなくなるというのが定番だった。
そう、必死になると、そんなことどうでもよくなってしまうのだ。
 
・・・・・
 
息子はカプリチョーザが好きだ。
ちなみに、私も夫も、あのいつも変わらぬ濃いお味、
結構好きである。

最近では、午前中の暇な時間は、
早めの昼食で、カプリチョーザに行きたいなぁ
と思っているようだ。

短時間で息子の要求を満たせるもの、
それは数少ないこともあり、
それはそれでいいんじゃないか、
と思うようになった。

月に一度くらいはカプリチョーザランチに行くだろうか。

・・・・・
息子は、カプリチョーザでは、
頼むメニューが決まっている。

シーザーサラダ
トマトニンニクパスタ
カルボナーラ

この三種類である。

この三つをシェアして食べようとするのだが、
シェアできるのはシーザーサラダが限界。
メインのパスタが出てくると、
もう独り占めしたくてたまらない。

私と息子の2人で行っても、
夫と息子の2人で行っても、
大人は思うように食べさせて貰えない。

「いややわ~
一緒に食べるんやから~
お母さんも食べるって~」

そう言って、食べるには食べるが、
息子は機嫌が悪いし、
なんかいい気分ではないし、
しかもお金払うのは大人だし。

・・・・・

前回私と2人で行ったとき、
私は考えた。
パスタを一種類にして、二皿頼んでみよう、と。

「シーザーサラダがいい。」
「トマトニンニクパスタがいい。」
と息子は言った。
「じゃあ、お母さんもトマトニンニク!」
と私が言った。

「・・・Sちゃん、カルボナーラがいい。」
と息子が言った。

「じゃあ、お母さんもカルボナーラ!」
と私が言った。

息子はしばらく考えた。

「Sちゃん、カルボナーラ」
「お母さん、トマトニンニク」
と息子は言った。

「あー、ナルホド。
じゃあ、2つ違うのがくるもんねえ。」
と私が言った。

・・・・・

結果的に、いつもどおりシェアすることになったんだけど、
Sちゃんがとりわけて・・・
お母さんがとりわけて・・・
Sちゃんがとりわけて・・・
お母さんがとりわけて・・・

揉めませんでした。
だって、2人で頼んだんだもの。
2人で食べるんだもの。

・・・・・

このメニューの頼み方をしたから、
急に息子がシェアできた訳ではないけれど、
一緒に食べるってこういうことなのかも、
と息子なりに理解したのかもしれない。

・・・・・

美味しいもの、
一緒に座って、
とりわけて食べるって、
パーティーみたいで
楽しいね。

ね、Sちゃん。

・・・・・

タカマミー