2017年5月23日火曜日

社会的評価という動機付け

息子は中学部三年生になり、
作業学習の内容が変わりました。
昨年は、やや個人作業が中心だったのに対し、
今年は集団作業もたくさんあるグループに所属しています。

4月から、担任の先生よりいただく情報の中で、
特徴的なものを抜粋してみます。

「今日は2人用ノコギリで木を切る
→ドライバー→やすりがけ
の作業でした。
特にノコギリがもっとやりたいようでした。
最後までしっかり取り組めました。」

「今日は、芝生のメンテを行いました。
肥料や砂をグラウンドにまく作業。
活動にはまり、集中し、
先生方にたいへん褒められました。」

「今日は木材のやすりがけ、
カレンダーの台紙貼り等をしました。
途中で「終わるよ」と少し集中が切れてしまいました。
再度工程を確認し見通しを持たせ、最後まで取り組みました。」

「今日は学校外のさくらの掃き掃除。
時々「先生がやるかな」と(文句を)言いながらも、
最後まで頑張りました。」

「今日は校内の草抜きと、近所の参道の草抜きでした。
活動が単調であるためか集中が切れやすかったです。
急きょブロワーを投入し、
機械を使って落ち葉を掃除する活動に切り替えると、
ノリノリでやっていました。」

「見通しが持てると、誰よりも正確に、そして丁寧に
仕事をすることができます。」

「指導したとおりの順序で作業を行うのでなく、
自己流にしてしまうことがあります。」

・・・・・

しっかりと頑張る力はついているということは、
私も感じますし、認めています。

しかし、彼は何もかも受け身なタイプではなく、
好き嫌いもはっきりとしているので、
家でも平気でお手伝いを断ってきます。

お手伝いを頑張ること。
丁寧にやること。
正しくやること。
試行錯誤をすること。
報告すること。

そのために、好きな活動を見つけてやったり、
環境を整えてやったり、
かなり合わせてきた、といえます。
そして、その環境の中で頑張る力はついてきた、ということです。

でも、ここに来て、
その次の段階にいかないといけないんじゃないかな?と思うようになりました。

・・・・・

ちょうど児童精神科の診察があったので、
これらのエピソードから、打ち手を考えていきたいという
話をしました。

そこで出てきた言葉が「社会的評価という動機付け」です。

彼は興味関心がはっきりしているので、
興味があることに関しては、人から褒められるくらい頑張ることができます。
しかし、興味が薄いことに関しては、
本人の許容範囲であればしぶしぶやることができますが、
見通しが持てなくなってくると、かなりトーンダウンしてグズグズ言い出します。

もう少し幼い時期は、ここまでできることが目標でもありましたから、
目標は達成できているといえるでしょう。
しかしもう、次の段階へ環境を変化させないといけない時期にきています。

そこで動機づけを何で作っていくのか、という話になりました。

一つは、信頼している人に褒められたり認められたりすること。

そしてもう一つは、チームの中での自分の役割だと認識できること。

例えば、楽しい作業のブロワー。
きっとみんながやりたがる作業なのでしょう。
でも、草抜きをしている人もいれば、ブロワーをしている人もいる。
そう認識できること。

例えば、掃き掃除の担当、床の拭き掃除の担当、机拭き掃除の担当、
いろんな担当の人がいて、今日の自分の役割は掃き掃除だ、
と認識できること。
机拭きがやりたかったとしても、いつもやれるわけじゃない。

そんな風に、自分がそのチームの一員だから何かの役割を担うんだ、
という意識。
そして、お互いに楽しいときもあれば、あんまり楽しくない時もあるけど、
持ちつ持たれつだという意識。

そういう観点で、彼の育ちを見ていかれるといいのでは、と助言をいただきました。

大変勉強になりました。

早速家の中でもやれそうな設定を考えています。
そして、ちょっと今日もやってみましたよ。
思いついたら即行動!

忘れないためにも、このことを文章で残しておきたいと思いました。

・・・・・

タカマミー