2016年7月28日木曜日

相手の気持ちを考える

相手の気持ちを考えて行動するということ。
全く考えていない、という人は居ないだろう。
でも、どの程度、どんな時、誰に対してでも、と言われると、
難しい人が多いのではないだろうか。

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小学校に居ると、
子ども同士の揉め事が多いことに気づく。
一日に何度も揉め事と遭遇し、双方の(または複数の)話を聞き、みんなが納得するように収束していく、そんな役割を担うことがどれほど多いことか。

揉め事の仲裁にはそれなりの技術が要る。
私は去年の秋ごろ、全くできなかった。
(慣れない経験のため、頭がハテナ?だらけになっていた)

自分の子供が絡んでいる場合だと、
自分の子供の言いたいことや癖などがある程度わかるので、
比較的状況を把握しやすい。
しかし、そうでない子供たちを相手にすると、本当に何から理解していいのかわからない。

話の前後関係がわからなかったり、主語がわからなかったりする上に、
泣いていたり、怒り震えていたりすると、日本語になっていない時もある。
さらに、自分が正しいのだとそれぞれが主張するので、言い分が交わらない。
言い方は悪いが、嘘が横行する世界だ。

そんな話を紐解いて、みんなが納得するように話をしていかないと、
子供たちにしこりを残すし、先生への信頼も失うし、時には親御さんから苦情もやってくる。

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そんな経験の中で、子供の揉め事の多くは、最初の言葉(声掛けの仕方 または 返事)がキーになっていることが多いと気づいた。

「順番代わるって約束してたやん。代わって。」
→「む~り~」

「次、ボール使わせて」
→「(自分のチーム内で多数決)使わせてあげてもいいと思う人~誰もいません!」

「これ、開けたの誰?」
→「おれ、やってないし!○がやってたし!」

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例えば、学級に一つしかないボールを、休み時間に交代で使うとなると、
明確なルールはない。
でも、順番に使うなり、一緒に遊ぶなり、折り合いをつけないといけない。

勇気を出して「貸して」って伝えた返事が
「む~り~」だったら?

誰でも腹が立つと思うのです。

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あのね、「む~り~」ってみんな言うよね。
遊びで使う分には、今時の言葉なのかなぁって思うから別にいいんだよ。
でも、自分が本当に貸してほしくて勇気を振り絞って伝えたとき、
その返事が馬鹿にしたような「む~り~」だったら、どう思う?

うんうん、そう嫌だよねえ。
先生だって、嫌だわ。
それに対して、何か言い返してやらなければ気が済まないと思っちゃう。
そしたら、絶対に言い合いになるよね。
喧嘩になるよね。

何か言いたいなと思ったとき、
相手がムカッとする言い方なのか、
「そっかあ、わかった」って思ってくれる言い方なのか、
ちょっとだけ考えてから、話せるといいなあ。
先生が言っていること、わかる?

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先日主人が同僚と話をしていてこんな質問をされたそうです。
「なあなあ、出張行くって奥さんに伝えたら、なんて言われる?
うちはなあ、”やったぁ”って言われるんや~」
そう、自嘲気味に。

この話題、奥さん同士の会話の中では非常によく出てくる話です。
私も主人が出張だと聞いたら、
気持ち半分は”やったあ、ご飯手抜きできちゃうなぁ”なんて思います。
気持ち半分は”仕事うまくいくといいなぁ”と思います。

その同僚の奥様も、私と同じような気持ちなんじゃないかと思うのですが、

「意外とその冗談、旦那さんに通じていません!」

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そんな返事をされても、
旦那さんは奥さんと喧嘩せずうまくやるために笑っているかもしれませんし、
無表情かもしれません。

時々であれば、冗談だと思って一緒に笑えるかもしれません。

でも、そんなに嬉しくないですよね。
居ない方がいいなんて、やっぱり言われたくないですよね。

私自身、いつもいつも人を思いやった表現ができるわけではありませんし、
不要な発言もたくさんしていると思います。

でも、主人の出張に「やったぁ」だけは言いません。
主人があまり良い気持ちにならないことを学び、それを知っているからです。

私の返事は、
「そうか~、気を付けて。」
と言うこともありますし、
余裕があれば、
「宿の温泉タオル持って帰ってきてな~」
「明後日は、博多明太子で乾杯か~そうか~ウヒヒ」
などと言う時もあります。

相手が、嫌な気持ちにならない言葉を知らず知らずに選んでいます。
※仕事でひどく思い悩んでいるときには、まさか「明太子」は言いません。

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絶対にここだけは、気持ちよく会話のキャッチボールをしよう。
そんなシチュエーションを思い描いておけば、
できるようになると思うのです。

子供たちには
「”今サッカーであと一点入ったらゲーム終了やねん。あと5分待ってくれる?”
”じゃあ、一緒にやらへん?”
例えばそういう返事が返ってきたら、みんなはどう思うかなぁ?」
と投げかけます。

そうすると、
「それなら、腹が立たない気がする。」
「話し合えそうな気がする。」
そんな答えが返ってきます。

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すぐにできるかどうかは別にして、
そんな風に心がけて、過ごしていれば、
うまくいかなくても反省します。
次こそはと思います。

そうやって、学んでいくものなんでしょうね。
そういうことが多くの場面でできるようになると、
相手の気持ちが考えられる人、になっていくのではないでしょうか。

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発達障害や知的障害を持っている人であっても、
一回一回丁寧に「正しい方法」を伝えて積み重ねていくことで、
いつか身体に染みついて、パターンとしてできるようになる、と思います。

私自身も「主人の出張といえばこの答え」というパターンで
うまくやり過ごしているとも言えます。

結局はその心がけを始めることが、「相手の気持ちを考える」一歩になると思うのです。

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タカマミー



2016年7月16日土曜日

幸せのレベル

蒸し蒸しした気怠い季節です。

家族みんなどよーんと気怠そうですが、
自分自身もなんとなく疲れが溜まってきて、
「土曜日の朝は起きられないだろうな」
そう思って休みました。

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翌朝(土曜日の朝)8時くらいに息子が活動している音がします。
・・・キッチンでガチャガチャ音がするけど大丈夫かな・・・

すると主人の声がキッチンから聞こえてきました。
・・・あ、ちゃんとフォローしてくれているな・・・

しばらくして、父子で私の寝室までやってきました。
「お母さん、起きて。着替えて。」
そうやって起こされました。

階下に下りると、
息子は自分で着替え、
なにやらお父さんに見守られながら好みのものを調理し
(おそらく納豆オムレツでしょう)、
調理したものを食べて、
その後薬を出してきてのみ、
歯磨きを(適当に)やって顔を洗い、
あとは出掛けるだけ、というところでした。
・・・時間が十分ある日であれば、朝の支度は自分でできるね・・・

主人は、
”洗濯機を回す”をしようとしてくれていたところでした。
・・・朝にやらないと乾かない、私の一番気にしていることをわかってくれている・・・

起きてなんとか着替えたはいいものの、
身体が動かずぼんやりしていた私。

やらなければいけないことをそれぞれやっている二人。

リビングでうつらうつらしながら、
身体はしんどいけど、なんか幸せ。
そう思いました。

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数年前であれば、息子は朝の支度を自分ですることができなかった。
私が促さなければずっとパジャマだった。

階下で音がしたら、すっとんで起きなければ危険だと思った。

主人は去年の今頃は単身赴任中だった。
私の代わりに息子をフォローしてくれる人は誰もいなかった。

主人は数年前までは、私の一番やってほしいことをやれる人ではなかった(ような気がする 笑)

いつもいつも伏せっていた私だったので、主人も嫌々しぶしぶ仕方なく用事をやってくれていたけれど、今はそんな雰囲気は微塵もないので、ただただ有り難い。

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下を見て暮らすというのとも違う。
それだけいろんなことが改善し、人間関係もよくなり、健全な家族になってきているのだと感じる。

上を見ればきりがない。
誰だってもっといい生活をしたいと思う。
お金が有り余るほどあったり、あくせくしなくても時間に余裕があったり、
子供が優秀であったり、両親がいつもフォローしてくれたり、
自分が美人であったり優秀であったり、旦那さんが三高(古い?)であったり、
便利な場所で素敵なおうちに住めたり。。。

全部において最高のものをもっていても、幸せと感じるかどうかはわからない。
人それぞれ、人の考え方によりけり。

日々自らが心がけることが定まり、
周りへの寛容な気持ちが育つ、
それがその人なりの幸せにつながるのかもなぁと最近感じる。

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タカマミー

2016年7月4日月曜日

しんどさに向き合える子

世の中の「つまづきを持つ」子供たちを見ていて感じること。

しんどいこと(大変なこと)に向き合えるか否か。
向き合える気持ちを持っているか否か。
もっと言えば、そういう練習をしてきたか否か。

これは発達障害や知的障害、のあるなしに関わらず、
子供に共通して言えることだと感じる。

学童期に入って、それが多少なりとも備わっていないと、
集団生活で何かの壁にぶつかる。

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では、しんどいことをする練習をしたらいいのか。

私はそれは違う断言できる。
それでは、ただの苦行になるだけ。

子供ならでは、その子ならではの楽しい活動や遊びの中で、
「楽しい」「もっとやりたい」「新しいものにも触れてみたい」
そんな気持ちを十分養うこと。

そして、できればお母さんと「一緒に何かをできることが楽しい」を育てること。

そして、その遊びや活動の中で、
ルールを伝え、それを守ることを教える。
その子に理解できる小さなことで良いので積み上げていくこと。

そしてできれば、守れるようになるまで、一つのことを伝えやり続けること。

たとえ泣いても怒っても、お母さんが決めたことは簡単に覆さないでほしい。

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例えば、
<1>
ご飯を食べる前に、手を合わせる。
ご飯を食べた後は、お茶碗を重ねる。

~こういうことは、習慣として誰もが取り組みやすいですね。

<2>
ご飯を食べる前には、必ず使ったおもちゃを玩具箱に入れる。
(最初は一つだけでも良い、後はお母さんが片付けても良いと思います。)
お母さんがもうオシマイと言ったら、必ずそれを止める。
(お父さんがいいじゃないかと言っても、覆さない)

~こういう躾的なことも、「まあ、いいか」ではなくルール化すると良いですね。

<3>
できないことやわからないことがあれば、素直にお母さんに手伝ってもらう。
(自分で!という時期もあると思いますが、折り合いをつけることも学ばせましょう)
何か物事をやってもらっている時には、側で見ていることを促す。
(一緒に参加していることにもなりますし、ありがとうという気持ちもはぐくめます)

~さて、子供だから「まあいいか」となっていませんか?

<4>
物を受け取るときは両手で受け取る。
物を渡すときはそーっと渡す。
用事があるときは自分から出向く。
などなど

~え、そんなこと?と思うかもしれませんが、重要です。

<1>は比較的どなたでもされている躾だと思うのですが、
<2><3><4>になるにつれて、難易度が上がってきます。
私は、<2><3><4>のようなことを小さいころから積み重ねておくことはとても重要だと思うのです。

しかし、このようなことを教えようと思うと、
一緒に活動し、一緒に遊んでこそ、
教えていけることでもあります。
後で伝えたり教えたりしても、うまく伝わりません。
行動してみてナンボ、なのです。

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子供が学校で授業中に困っていること、
友達関係の中で困っていること、
たくさんあります。

私なりに言葉にしてまとめてみると、
「我慢ができない」
「自分勝手」
「決められたことが守れない」
となります。

このようなことは、幼児期からの積み重ねがとても大切だと感じます。

健常児でも大切に取り組みたいことであると同じように、
理解や定着に時間のかかる障害を持った子供にとっても、
確実に取り組み、身体に染みつくまで継続してあげて欲しいと思うのです。
並大抵のことではありません。

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言い換えることもできます。
多少できないことやわからないことがあっても、
「やりましょうと言われたことに応じられる」
「嫌だなあと思っても、折り合いがつけられる」
「工夫してあげれば活動できる」
「ダメと言われたことに素直に従える」
などができていると、
素直でいい子だな、
なんとかしてあげたいな、
彼ができる方法を考えてあげたいな、
と周りは思うのではないでしょうか。

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タカマミー