蒸し蒸しした気怠い季節です。
家族みんなどよーんと気怠そうですが、
自分自身もなんとなく疲れが溜まってきて、
「土曜日の朝は起きられないだろうな」
そう思って休みました。
・・・・・
翌朝(土曜日の朝)8時くらいに息子が活動している音がします。
・・・キッチンでガチャガチャ音がするけど大丈夫かな・・・
すると主人の声がキッチンから聞こえてきました。
・・・あ、ちゃんとフォローしてくれているな・・・
しばらくして、父子で私の寝室までやってきました。
「お母さん、起きて。着替えて。」
そうやって起こされました。
階下に下りると、
息子は自分で着替え、
なにやらお父さんに見守られながら好みのものを調理し
(おそらく納豆オムレツでしょう)、
調理したものを食べて、
その後薬を出してきてのみ、
歯磨きを(適当に)やって顔を洗い、
あとは出掛けるだけ、というところでした。
・・・時間が十分ある日であれば、朝の支度は自分でできるね・・・
主人は、
”洗濯機を回す”をしようとしてくれていたところでした。
・・・朝にやらないと乾かない、私の一番気にしていることをわかってくれている・・・
起きてなんとか着替えたはいいものの、
身体が動かずぼんやりしていた私。
やらなければいけないことをそれぞれやっている二人。
リビングでうつらうつらしながら、
身体はしんどいけど、なんか幸せ。
そう思いました。
・・・・・
数年前であれば、息子は朝の支度を自分ですることができなかった。
私が促さなければずっとパジャマだった。
階下で音がしたら、すっとんで起きなければ危険だと思った。
主人は去年の今頃は単身赴任中だった。
私の代わりに息子をフォローしてくれる人は誰もいなかった。
主人は数年前までは、私の一番やってほしいことをやれる人ではなかった(ような気がする 笑)
いつもいつも伏せっていた私だったので、主人も嫌々しぶしぶ仕方なく用事をやってくれていたけれど、今はそんな雰囲気は微塵もないので、ただただ有り難い。
・・・・・
下を見て暮らすというのとも違う。
それだけいろんなことが改善し、人間関係もよくなり、健全な家族になってきているのだと感じる。
上を見ればきりがない。
誰だってもっといい生活をしたいと思う。
お金が有り余るほどあったり、あくせくしなくても時間に余裕があったり、
子供が優秀であったり、両親がいつもフォローしてくれたり、
自分が美人であったり優秀であったり、旦那さんが三高(古い?)であったり、
便利な場所で素敵なおうちに住めたり。。。
全部において最高のものをもっていても、幸せと感じるかどうかはわからない。
人それぞれ、人の考え方によりけり。
日々自らが心がけることが定まり、
周りへの寛容な気持ちが育つ、
それがその人なりの幸せにつながるのかもなぁと最近感じる。
・・・・・
タカマミー
0 件のコメント:
コメントを投稿