2016年1月20日水曜日

「人と一緒が楽しい」

発達障害や自閉症といっても、
誰一人として同じような人はいないので、
少しずれてしまうけど人と何かをするのを好むタイプもいれば、
一人が良いというタイプもいる。

息子は、一人が良いタイプ。
一人が良いというよりも、人が邪魔に感じるタイプ。
だから人と何かを共有するということさえ、全くできなかった。
 
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でも、それでは困ると思った。
私は、彼の数々の問題行動には、
「人と何かを共有できない」ことに大きな原因があると思っていたので、
幼い頃から、いろいろな方に助言をいただきながら、
地道に取り組んできた。

何をしてきたかということ、
「お母さんがSちゃんと一緒にこれを一緒にやりたいと考えてきたよ」
というアイテムや遊びを、どんどんどんどん考え、
それを楽しそうにやってみせる。
見てくれないこともあったし、
やろうとすると怒り出すこともあった。

一つの遊びを何度か試して、
義理で付き合ってくれるようになったものもあれば、
「却下」されたものもある。

Sちゃんの却下は容赦ない。
何時間練った企画であろうが、
夜なべして作ったアイテムであろうが、
「面白くない」ものは面白くないからである。
しかも、ほとんどがすべて「却下」である。
 
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そういう活動も毎日何年も続けていると、
時々ヒットする。
最初は、線香花火のたった花一輪だったものを、
花二輪にし、
落ちかける火種をなんとか落とさないように次の花火に火をつける。
いつか、この火種で、もう少し大きい花火が咲かせられないだろうかと、
心は慎重に、遊びは大胆に、楽しそうに活動してみせる。
そんな毎日であったと思い出すことができる。

息子は、今でも人と関わることも遊ぶことも、フリー場面ではできないが、
「こういう風にするよ」という枠組みがあれば、少しはできる。
それがちょっとイイナって笑うときもある。
遊ぶことは上手にできないけど、好きなお友達もいる。
バス停に来ないお友達がいつ来るのかなと待っているようなこともあって、
彼にとっては「人を気にして楽しむ」行為なのかもしれないと思う。
その程度の歩みしかなかったけれど、
それでも少しでも育ったことが、私にとっては大きな成果だった。

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あるお子さんが、ある集団の授業の後、
泣いて訴えてきた。
聞いてみると、自分が間違ったことに対して、
人からキツつ言われたことで、いざこざがあったらしい。

人との距離感の難しさを持っている子にとって、
集団生活で人と何かをすることは、
ストレスも多い。
もちろん人と楽しく過ごせる子もいるし、
割り切って一人を楽しむ子もいる。

人それぞれなのだが、意外に人間関係でストレスを抱えていたり、
ストレスを与える火種になっている人は多いようだ。
今日のこの子供達も、しばらくの間イライラした何かを抱えたままとなっていた。
(こちらにも考えがあり、あえて大きな介入はせず、説明して自分で行動させるに留めたから、スッキリしていなかったのだろう)

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偶然、今日の宿題忘れに、当事者2人がいた。
2人とも勉強は好きなタイプで、普段忘れたりしないのだが、うっかり。
「休み時間に先生とやる?」と聞くと、「うん、やる!」とのこと。

宿題は音読だった。
一人一人交代で、音読を聞いてやれば良いだけのことだったのだが、

私「なあ、今日は3人で音読やろうか。時間もかかるし、一石二鳥。」
A「えー!一人ずつがいい。絶対ずれるもん。」
B「長いし、しんどいって」
私「まあまあ、そう言わんと。先生が一文読んだら、その後に続いてAくん、Bさんで一緒に付いてきてよ。」
彼らはブーブー言っていたが、やり始めた。

途中から、お互いを意識しながら読み始めているな、と感じるようになってきた。
表情も良い。
時々、二人で顔を見合わせてクスクス言いながら、最後までやりきった。

やりきった後、
A「もう、先生可笑しいわ~」
B「先生のセリフの言い方真似するの、難しいよなぁ!」
めちゃくちゃ楽しそうである。

登場人物に2才の女の子が出てきたので、私は2才の女の子らしく読んだのだが、
それがツボにはまったらしい。

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その後、給食時間となったのだが、2人は冗談を言いながら、
めちゃくちゃ楽しそうに笑い合って給食を食べていた。

単純すぎて、「さっきのあの怒りはどこへ?」と思いますがね。

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今回、私のセリフが面白かったことに、2人が同調しようとして楽しかったことも加わったのだろうが、
いずれにしても同じ文章を2人で合わせて言う経験。
そして、先生→生徒→先生→生徒、という掛け合いの経験。
2人の、いや3人の一体感が心地良かったというのも大きな要因であると思う。
人と同期する心地よさは、子供でも大人でも同じように楽しく感じられる活動だ。
ダンスとか、コーラスとか、バンドとか、大人が主にはまっていますもの。

やっぱりいいなあ、こういうしかけは。
Sちゃんで培ったことは、やはり他の場面でも活きると感じることができた、
とてもいい一日でした。
 
叱ったり、諭したり、謝ったり謝らせたり、
そういうことだけが大人の役割じゃない。
もう少し、人と関わる根本的なところを一番伝えていきたい。
少しでもそういう何かが伝わるといいな。
 
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タカマミー


2016年1月6日水曜日

13才、ブランコが漕げるようになりました!

発達障害の子供たち。
乳幼児期の身体の発達に問題がなくても、
上手にできないことがたくさんある。

息子は、身体を動かすことが割と好きだ。
彼のニーズを考えてみると、
ピョンピョン跳んだり、
ぐるぐる回ったり、
勢いよく動いたり、
高いところから飛び降りるような衝撃も好き。
しっかりとした感覚を常に欲しいと思っている。
 
乳幼児期から学童期にかけて、
息子は多くの作業療法士さんと共に、
このニーズを叶えさせてもらった。
いろんな方に手助けをしてもらって、
遊びを実現していたということだ。

しかし、もうその時期は過ぎてしまった。
本当は年齢的にも何かスポーツに転換して欲しい時期ではあるのだが、
まだまだ転換しきれていない。
 
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ここ半年ほどの間に、
ディの職員さんやガイドヘルパーさんから
「公園に行ったら、ずっとブランコしていましたよ。」
「ブランコ、一時間くらい乗ってましたよ。」
そうお聞きすることが増えた。

私のイメージでは、
まあ好きだけど、遊び込めなくてすぐ止めてしまう遊具。
自分で漕げないから、押して貰うことでしかニーズが満たせない遊具。
誰かが一対一で付いてくれていなければ無理なのだ。
そして、そのお付きの人も、相当体力がいる仕事なんだ。

公園で、社会的な遊びができない彼にとって
公園って大して時間が持たない場所なのだ。
そして、もう身体も大きいし、そうそう行くこともないだろうと思っていた。
 
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元旦、近くの神社に初詣に行った帰り、
「ブランコする」と息子が言うので、
一緒に公園に行った。

するとなんと、自力で漕いでいるではないか!
自分の身体の軸の移動が可能になっているではないか!
たかーくたかーく空たかく、とっても気持ちが良さそう。
それは、楽しいわぁ。
やりたいことが、自分の力でできるってすごく嬉しいもんね。

そして、たくさんの小さなお友達が代わって欲しいと並んでいたので、
「代わってあげようね」と声をかけると、
ちゃんと自分から遊びを止めることができた。

そして、大きな身体をした息子、
「代わってください!」と次はまたやりたいとアピールしている。
(並んではいられなかったけど・・・)
そしてまた代わってもらい、ブランコをする、ということを繰り返した。
そんな社会のルールにも、対応できるようになってきたんだね。
 
身体が大きく、しっかり漕げるようになった息子のブランコは、
「あのお兄ちゃんぐらい、高く~!」と
小さなお友達にとって憧れるくらいの、漕ぎっぷりだったようだ。

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ブランコを漕ぐ。
たったそれだけのことのようだが、
身体の軸がしっかりしていない子にとっては、
あのゆらゆらした小さな板の上に、自力で座っていることでさえ、
難しいことなのだ。
そこから、気の遠くなるような時間を経て、
その間に様々なことに取り組んだ結果、
ブランコを自分で操作できるようになった。
そこまでに、何年費やしているだろう。

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結果はすぐには出ない。
息子やその他の発達障害の子と接していて感じる。
変化しないということに苛立たず、
じっくり丁寧に接し続けることの大切さを感じる。
 
実は、こんな親の心構えとも言えるスキル、
とってもとっても難しいのだ。
皆さん、これができなくて苦しんでおられるとも言える。
 
常に何かを教え込もう、常に前進していきたい、
昔は、私もそんな親だった。
でも、子供もそんな親が常にぴたっとくっついていたら、
しんどいんじゃないか。
親も、何かにせき立てられるようで、
心が安まる暇がないんじゃないか。

かといって、ただぼーっと過ごすということではない。
「こんな風になってくれたら」
「そのために、こういう活動をしていこう」
そんな方針はしっかりと作っておきたい。
 
最終的に、目標に到達することができないことも、いっぱいある。
願っていたほどにはできない、そんなことだらけだ。
 
でも、ブランコのように、諦めて静観していたら、
自分の力で乗り越えていた、ということもあるから面白い。
 
苛々してせき立てられていた母親の私も、
よく笑い、よく待てる、母親になれたことも面白い。
 
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2016年が始まりました。
ゆったりと、そしてしっかりと子どもに向き合ってまいりましょう。
 
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タカマミー