2015年10月14日水曜日

「want to」そして「must」

学齢期に入った子どもの親御さんから、
「言うことを聞かない。やらないといけないことをさっさとできない。」
そんなことを時々聞く。

何故やらないのか?
やり方がわからないのか。
やる気持ちになれないのか。
多分後者だろう。

せっぱ詰まればやるのか?
それとも、少し見守ってやればしようとするのか?
一緒に手伝ってやればするのか?
頑としてやらないのか。
さてどれなんだろう。
(この事柄については、別途お話させていただこうと考えている)

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私はお子さんに物事をやろう、行動しようとする気持ちを育てるのは、
幼いうちに「want to=したい」事柄で育てるといいのかもな、と感じている。

発達障害の幼児期のお子さんを観察していると、
中には「どのように遊んでいいのかわからなくて」ただウロウロしているお子さんもいることに気付く。
そういうお子さんには、「こんな遊び、いかがですか?お好みに合うんじゃないでしょうか?」と積極的に紹介もしていくことをお勧めしている。

それがお子さんにとってマッチする遊びだと、最終的には「want to=したい」遊びに変化していくからだ。
導入部分はどんな形でもいい、「わあ、楽しいなぁ。」「もっとやりたいなぁ」「昨日のあれ、もう一回やろうよ」そんな気持ちがしっかり育つことが大切だと思う。

そんな経験をたくさん積んだお子さんは、
能動的に物事をしようとしていくようになる、と感じる。

元々受動的なお子さんであっても、そこそこ能動的な方向には向いていくと感じる。

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そんな経験をたくさん積んで、何かで遊んだり、集中したり、考えたり、人と関わったりすることが楽しい、そんな感情がしっかりとできあがる。
そうすれば、「must=ねばならない」事柄でもある程度、うまくやれるようになると感じる。

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世の中には、「must=ねばならない」事柄はたくさんある。
十分、能動的に遊ぶ体験をして、主体的に遊ぼうとした経験がないのに、いきなり「must=ねばならない」を突きつけられたら、きっと誰だってできないだろう。

学齢期に「主体的に動けなくて」躓いているお子さんは、
もしかしたら、もう一回「want to=したい」から再スタートした方が、
実は近道なんじゃないかと感じている。

だって、その後思春期もやってくるんです。
発達障害や知的障害のある子どもも、健常児と同じように、思春期はやってきます。
我が強くなってきて、親の思うようには動いてくれなくなっていきます。

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ある場所で関わっている生徒と、
「先生(私)と何をやる?」と相談をしたとき、
生徒は私が持っていた折り紙の本の中から、
とても綺麗なユニット折り紙を見つけ出した。

「それは、すごーく時間がかかるし、大変だよ?」

そう諭して、一度は諦めたのだが、
翌週またその頁をじっとみて、
「これ、やりたいなぁ・・・」
そう言って私をちらっと見た。

生徒の想いを尊重して、私達はやることにした。
時間はかかるけど、コツコツユニットを作っていけば、いつかは形になるもんね。

生徒と私で、毎週折り紙もしていくことになった。
遊びも、学習もやらないといけないし、協力して頑張ろうね!
そう言って約束した。

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ある日の夕方、息子と家に居た。
息子はおやつを食べながらPCを見て遊んでいたので、
私は折り紙の研究をしていた。
実は、その生徒とユニット一つ作るのに、図解がすぐに読み取れなくて、
「先生、家で考えてくるからね」と宿題にして持って帰ってきていたのだ。
試行錯誤を繰り返しているうち、
息子は私に早く夕食作りにかかってくれないかなぁと思うようになった。

「お母さん、晩ご飯なに?」
母「・・・うーん、サンマ・・・」
「水入れて、サンマ焼くよ?」
母「・・・うーん、もうちょっとしたらね・・・6時になったら焼くから・・・」

待ちきれなくなった息子は、
「お風呂洗ってくるよ」
そう言って、お風呂場に行き、
「バスマジックリンどこ?(少なくなっていたので、追加して欲しいらしい)」
母「・・・うーん、あとで入れてあげる・・・」

「お母さん、バスマジックリン、あった!(とうとう探し出したのだ)」
そしてお風呂を洗い、お湯をセットして出てきた。

「お母さん、宿題するよ!」
そう言って勉強ボックスを持ってきた。
「引き算、書いて!」
「花丸して!」
そうやって、計算と漢字の勉強をした。
もう待ちきれないんだろうな、そろそろ6時だしな、とようやく動く気になった私。
「さてと、明日の学校の準備、しに行こうか。」
そう促して、息子の給食袋と体操服袋の準備を見届けるために別室へ移動する。

息子は学校の準備をした後、
となりで洗濯物を畳んでいる私を見て、
ボクもやろう、と自分の洗濯物を畳んで片付けていく。

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息子は、極端に遊べなかった子どもだった。
ウロウロすることや、
電車の図鑑を見入ることぐらいしかできなかったと思う。
今でも能動的にやろうとする遊びのレパートリーは少ないが、
それでも、2人で長い間かけて、楽しく遊べるモノは何かないかと探って試した期間が長かった。
息子に振り向いて貰えなかったことがほとんどだったが、
だんだんと義理でつきあってくれるようになり、
そのうち笑顔で向かい合ってくれるようになった遊びもある。

長い年月をかけて培った「want to=したい」は、
いつしか「must=ねばならない」であっても受け入れられるようになり、
そして「must=ねばならない」がきっちりできることって、結構気持ちいいなと感じるようになってきているようだ。
大人になっていく過程で、「must=ねばならない」がある程度受け入れられるようになっていくことは、とても大切なことであると思う。

そうやって息子は、やりたくないなぁと思うことでも、
やっておけば得すると思うことでも、
頑張れるようになっていったように感じる。

前は用事をして貰う方が逆に手間だったけれど、
今では少し役立つ男にもなってきているぞ!?

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いきなり「must=ねばならない」を突きつけても、人の心は動かない。
しかし「must=ねばならない」を何故やってくれないのと、苛立つ人は非常に多いのだ。
ちょっと待ってあげて・・・と言いたくなる。

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社会人になった若い世代。
紙面でたくさんの方々と接するようになって2年。
様々な考え方の人がいるが、
声高々に「ワークライフバランス」が大切だと言われる方が、割と多いなと感じる。

でも、よくよく話を聞いてみると、
「ワークライフバランス」と言うよりも、
自分の趣味の時間をしっかりとらなければ、自分のバランスが保てないので、
残業はできない、こんな部署にいては残業しなくてはいけなくなる、どうしたらいいのでしょうか。
ということだったりする。

「want to=したい」、「must=ねばならない」の比率は、
常に一定でなければならない、と思いすぎているのではないか?
その時の状況によって、比率は変わって当然。
どちらも大切にしたら良いと思いますよ。
状況を見て、自分で比率を変えていけばいいのではないでしょうか。
とお話させていただく。

若者の中で、「want to=したい」の主張があまりに強すぎる人は、
もしかしたら幼いときの「want to=したい」体験が、少し足りなかった方なのかもしれない。
でも、もう既に時は遅し、というべきか。

巻き返しのきく年齢や状況、というのもあるので、悩ましいと感じる。

でも、まだまだ間に合う年齢であるならば、是非ともトライしてみて欲しい。

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タカマミー

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