2015年4月22日水曜日

育てたように子は育つ

今日、参観日に行ってきました。
支援学校中学部、初参観です。
ただ、行った時間帯がたまたま
国語と数学(算数)の時間帯。
担任の先生を囲んで、
四人の生徒が机を丸く寄せて、
それぞれがプリントをやっている、
支援学級でよく見られるような光景でした。

一生懸命コツコツやっているなぁと思ったら、
ものすごく簡単なプリントを渡されていて、
「だから嬉々としてやってるわけね」

まあまあ、別にどんなプリントでも、
一生懸命頑張ってたらいい。
きちんとやるべきことに向かっている姿勢が、母は嬉しい。
・・・・・
 
途中、学年主任の先生に声をかけられた。
中学部から入った生徒は、
それほど多くないので、
先生も気にされているのだろう。
 
「高見くんは、やっぱり障害の特性上、
たくさんこだわりを持っていますね。」
 
「お母さんも、いろいろご心配されているようですね。」

「月曜日、帰りは放課後ディの車に
乗って帰ることになっていたようですが、
高見くんは”(通学)バスに乗りたい”と
ものすごくはっきりと、何度も主張していました。」
 
「ですが、担任や私が説明をすると、
しっかり自分の主張をしながらも、
我々の話に耳を傾けてくれ、
何度かやりとりするうちに、
”じゃあ、仕方ないな”という表情で
折り合いをつけれくれました。」

「お母さん、彼はとても素晴らしい力を持っていますね。」
 
・・・・・
 
彼らのこだわりは、結構大変だ。
私達のこだわり方とは全然違う。
死ぬほど抵抗するし、
折れることができない。

彼らの感じ方は、我々とはずいぶん違うんだな、
と感じさせられることの一つでもある。
 
だけど、どれだけ泣いても叫んでも暴れても、
どこかで折り合いをつけなければ、
人と一緒に生きていくことは難しい。
 
・・・・・
 
私は、それに非常に長い時間を費やした。
身辺自立を教えたり、
遊びを教えたり、
読み書き計算を教えるよりも、
ずっとずっと長い時間を費やした。

どうやって教えるか。
どうやって上手になっていくのか。

日常生活でよく起こる、
彼のひっかかりに、
それは社会的に無理だと思うものに対しては、
絶対に親が折れないこと。

その1時間を大暴れして無駄に過ごしても、
その半日を大泣きして無駄に過ごしたとしても、
親が折れないと決めたことに対しては
覆さない。
やろうとしていたことが、全くできなくなっても。
 
親は怒ったりはしない。
ただ、淡々と「できないものはできない」という姿勢を崩さない。
彼の安全だけは確保しながら。
そうすると、
泣いても暴れても、
どこかで自分が折れなければ、
前に進まないことがあるということを、
経験する。

何度も何度も、
何百回、何千回経験しただろうか。
 
非常に長い時間はかかるが、
お母さんがボクの主張を聞き入れてくれるとき、
お母さんが絶対に駄目だというとき、
どちらもあるということを
彼は知る。

・・・・・
 
でもそれには、
お母さんにプイと横を向かれたくない、
そんな気持ちが育っていなければいけない。

お母さんとうまくやりたい。
だからこそ、
激しく悩んで、泣いて暴れて、
それでも結局お母さんの元に帰ってくる。

・・・・・
でも、彼らは、元々人への愛着というものがかなり薄い。
息子は、人への愛着は皆無だった。
だから、どちらも同時に育んでいかなければならなかった。
 
・・・・・
 
親子の愛着。

そして、
「ま、いいか。」と折り合いをつけること。

切っても切り離せないものでもあったと思う。

・・・・・
 
まだまだ、息子は折り合いをつけるのが下手だ。
それでも、半日を無駄にするようなことはもうない。

大暴れして、すべての手を止めてでも
彼の安全を守らなければならないほどではない。

しつこいことはしつこいけれど、
話し合いの中で
折り合いをつけられるようになってきたから。
身体も大きくなって、私を見下ろすようになったが、
彼に傷つけられるかもしれない、なんて
全く思わない。

絶対に、なんとか頑張って、
心の中で「ま、いいか」と言って
戻ってきてくれると思うから。

・・・・・
 
私は、学年主任の先生にこう言った。

「そのように、今まで育ててきました。」
・・・・・
 
息子の障害がわかってふさぎ込んでいる時、
義母が一応(?)彼女なりに心配して、私に本を送ってきてくれた。
『育てたように子は育つ』
その時は、無性に腹が立って、
泣いて怒った。
「こんなもの、送ってきて・・・どういうつもりなの」

その時は、なんとか育てたくても、育てようがなかった。
どうやって切り口を見つけて良いか全くわからなかった時だった。

でも、今は「そうかもな」と思う。
 
彼らの特性を知り、
工夫をし、また工夫を重ね、
どんなにうまくいかなくても諦めず、
継続し、さらに継続する。

とてつもなく気の遠くなる作業ではあるが、
でも、目指しているところは、
社会でそれなりに認められるような子供に躾けていきたい。
笑顔で、いろんなことを楽しんで過ごして欲しい。
穏やかで人から愛される子になって欲しい。
そして、我が子として愛したいし愛されたい。

そんな風に「育てたように子は育つ」のだ。

きっとそうだ。
・・・・・

タカマミー

2 件のコメント:

タカミー さんのコメント...

近親者、特に両親の受容が一番最初だと思いますよね。

タカマミー さんのコメント...

受容とは、
まずはありのままの姿をきちんと理解してあげること。
悲観することでもなく、楽観することでもなく。
そしてその先に何をしていくかを考えていくこと。
どんな仕事も同じだと思いますよね。