町で出会う人。
何かに怒っているような顔をしている人。
疲れた表情の人。
楽しそうな人。
ものすごく急いでいそうな人。
ぼんやりしている人。
歳をとったら自分の顔に責任を持て、
のようなことを言われますが、
普段の生活が、考え方が、無意識の時の顔に出るのかなあなんて
最近思います。
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わが子Sさんですが、
小さいころは、いつも辛そうな顔をしていたように思います。
そのはずです。
ものすごくいろんな感覚に過敏で、
人に接触すればイライラし、
大きな音にイライラし、
気持ち悪くて泣き、
眠るのが下手で一晩中泣いていました。
子供なら普通は楽しい水遊びも、
「人がたくさんいるから、急に水が飛んでくるかもしれない」
という不安で近づくことができませんでした。
雪が降っても、
手袋がうまくはめられず泣き、
少しでも洋服が濡れたらそこが気持ち悪くて楽しむことができません。
そして、世の中がどうなっているのか、まったく仕組みや見通しがないので、
常に不安の中で生きていたんだと思います。
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そんなSさんですが、
最近の普段の表情を見ていると、
真顔の時もあれば、
何かに真剣になっている時の顔もあれば、
嬉しくて小躍りしちゃうような顔の時もあります。
お料理していると「美味しくできるかな♪」と笑顔ですし、
走っている時やブランコを漕いでいる時は、気持ちよくて笑顔です。
大好きな人に出会ったら嬉しくて笑顔ですし、
「今日は〇〇くんに会えたな」と思い出すだけで笑顔です。
「明日、△に行けるな!」と楽しみで笑顔ですし、
「その時は、□で天丼を食べようかな。」とウキウキです。
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つまり、彼の表情を見ていると、
彼の生活全体として、
楽しいことが増えてきたんだろうなと思うのです。
以前は、人と接触して一触即発なことが多く、
大変気に病み、悲嘆にくれていたことが多かったですが、
「人を好きになる」ように療育を続けてきたことで、
最近では人と接するときの柔らかさがずいぶん出てきました。
見ていても、「多少の接触があっても大丈夫だろうな」
と思えるのです。
世の中にはいろいろな活動があるんだよ、
今はあまり楽しめないかもしれないけど、
こんな世界があるんだよ、と紹介し続けてきたことで、
今頃になって、割合楽しく活動できるようにもなってきています。
いろんな感覚はしんどいことじゃなくて、
やってみたら楽しいものも多いねってことも気づくことができています。
時間や日付の概念がわかり、毎日のルーティーンがわかるようになって、
ルーティーンの安定、
突発的なイベントの楽しさもわかるようになってきました。
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ところで、
私の顔はどうなんだろう?とふと考えてしまいます。
私も以前は、小難しい顔をしていたことが多かったように思います。
几帳面な割に、
物事があまり覚えられず不器用なところも多々あり、
(そう、頭がよくないのです・・・)
身体がいつも調子が悪く疲れていて、
人生の何が楽しくて生きていたんでしょうか?
(もちろん楽しいこともたくさんありましたよ!)
今では、長年の療育生活の末に、
感情の起伏を少なくすることが可能になり、
叱るときも冷静に「作りあげた叱り顔」です。
そして、これってまあまあ楽しいよね、ということを
伝え続けてきた生活の中で、
まあまあ笑顔な自分が普通になってきたと思います。
叱って教えるのではなく、
態度で表情で、そして時が来るのを待つという姿勢で
何かを伝えていきたいという想いが
自分の顔を作っていくと考えています。
私も自分の顔に責任が持てるようになれるかな。
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タカマミー